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「男女平等及び性の多様性の尊重を実現する宣言」 [男女共同参画]

5月25日、福岡県弁護士会の総会が開催され、
「男女平等及び性の多様性の尊重を実現する宣言」が議決されました。

これは、下記の前提で、弁護士会が、
男女平等及び性の多様性尊重を実現するために基本計画を整備し、
さまざまな取り組みを行っていく予定であることを宣言するものです。
 
***抜粋***
私たちの住む社会は、さまざまな個性をもつ人々で構成されています。

どの人もみな、個人として尊重され、
自らの個性と能力を十分に発揮する機会が確保されなければならないことは、
いうまでもありません。

性別という枠を超えた人権尊重の必要性も指摘されはじめている現在、
性の多様性を受け入れ、それぞれの個性を生かし活躍する社会という観点は
非常に重要です。


かかる観点から、福岡県弁護士会は、
真の男女平等の実現とともに、性別を問わず、
全ての人々が、自分らしく、個性と能力を十分に発揮できる社会をめざして、
みずからが総合的かつ統一的な取り組みを行うことが必要だと考えました。」


当事務所も、ご相談者・ご依頼者の方はもちろんのこと、
様々な弁護士・弁護団や、関係各機関の皆様とともに連携をとりながら、
男女平等や、性の多様性が尊重される社会を実現するために、
さまざまな側面から取り組みを行っていきたいと思います。

皆様、今後ともどうぞ、よろしくお願いいたします。

(郷田真樹)
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【写真展・講演会】立ち上がる選択〜性暴力を許さない社会のために [性暴力]

写真展・講演会開催のご案内です。

6月4日(土)10時〜20時@天神イムズ
 写真展 Projekut  STAND 
     性暴力サバイバー達の素顔
 15時30分〜大藪さんに30分ほどトークをいただく予定
 (性暴力被害者支援センター・ふくおか主催)


6月5日(日) 13時〜15時@アクロス 
 写真家・大藪順子さん講演会(先着100名限定)
 立ち上がる選択〜性暴力を許さない社会のために
 (福岡県弁護士会主催)

皆様、ぜひぜひお誘い合わせのうえ、お立ち寄りください。

*詳細(特にアクロスのEV選択は要注意!)は、
 チラシをご参照ください。

****大藪さんプロフィール****
1971年大阪府生まれ。コロンビア・カレッジ・シカゴ卒業後、新聞社で専属写真家として 活動する傍ら、性暴力被害者を取材撮影し「STAND:性暴力サバイバー」を発表。米国の TVドキュメンタリーとなり、大きな反響を呼ぶと共に、米連邦政府の女性に対する暴力に 関する上議員特別議会で発言権を与えられる。以来、ワシントンの上議員オフィスからハ ワイの女性刑務所まで、各地で展示会と講演をし、米政府主催の防犯全米キャンペーン等 にも携わる。2006年より日本各地でも講演と写真展を通して被害者支援体制構築を訴 え活動。2002年ワシントン DC レイプクライシスセンターよりビジョナリーアワード受賞。 2008年やよりジャーナリスト賞受賞。2011年シカゴの母校より卒業生優秀賞受賞。2007 年著書「STAND-立ち上がる選択」出版(フォレストブックス)。米国発ニュースサイト、ハフ ィントンポストにブログシリーズ「浦島花子が見た日本」を不定期執筆。スクリーンショット 2016-05-11 16.26.52.png
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災害時 LGBTの方たちへの理解を、一人で悩まず相談を!

災害とDV・性暴力について文章を書いたところです。

女性・子どもの脆弱性、などと言われたりしますが、
社会のなかで構造的に弱い立場にいらっしゃる方は、
災害・復興時などに、さらにその弱さ(脆弱性)が増し、
平常時よりも辛い思いをすることがあります。

LGBTなどとも表現される性的マイノリティの方達についても、
プライバシーが確保されず、常時、第三者の目にさらされる環境にいる場合には、
こうしたことに理解のない人達からの視線や接触を遮ることができず、
平常時より辛い思いをされることがあるかもしれません。

また、自分自身が性的マイノリティだということを他者に隠しているような場合には、
そのことを隠すために多大な努力を要したり、
隠しきれなかった時に「ばらすぞ」と脅されたり、
さまざまな苦労があるかもしれません。

自分のパートナーが誰であるかを秘密にしているような場合には、
パートナーの安否を大手を振って探せず、
互いの安否確認ができるまでに身を切られるような辛い思いをしたり、
あるいは、周囲の目が気になって、
互いに一緒の避難所に入ることができなかったりするかもしれません。

しかも、そうした辛さを、秘密を知らせてもよいごく少数の人にしか出せず、
身のうちにかかえて生活をするほかない辛さもあると思います。

幸いにして現在は、SNSなども発達し、以前に比べて、
さまざまな、信頼しうる性的マイノリティ支援団体などへの、
アクセスがしやすくなっていると思います。

どうか、辛い思いを誰かと共有しながら、
この大変な時期をご無事に乗り越えられますようにと願っています。

また、平常時であれ、災害・復興時であれ、
脅し、暴力、DV・性暴力(男性被害者や性的マイノリティの被害者も含む)は
許されませんし、犯罪にさえなりえます。

性的マイノリティの方たちについて、これまでの女性被害者支援のような、
相談・支援体制が整備されるまでには、まだまだ時間を要するかもしれませんが、
現在は、行政機関なども含め、性的マイノリティの方達についての、
相談・支援体制の整備の必要性がうたわれはじめています。


被害にあわれた時、自分でどう対応をしたらよいかわからない時、
どうか一人で悩みを抱え込まず、
ご自身が信頼できる、話をしてもよいと思える身近な方からでも、
行政や法律家といったところからでもかまいませんので、
アクセスをしてみて、もしも相手が信頼できると思えた時には、
遠慮なく、あなたの悩みについての相談をしてみてください。


また、自らが被災者として日々を必死に乗り越えていらっしゃる皆様や、
被災地や全国で、被災地に思いをはせあるいは援助を続けているたくさんの人達に、
山積している膨大な質・量の越えていくべき課題のなかで、
表立って目に見えにくい事柄ではあるけれども、
確実にLGBTと言われる性的マイノリティの方たちも確実に存在し、
それぞれが同じく被災者として課題を抱え、
人知れず悩んでいるということに思いをはせ、
理解や共感、支援の気持ちをよせていただけますと、とてもうれしいです。

(郷田真樹)
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災害時のDV・性暴力〜被害をうったえることは、わがままではありません。 [DV]

「皆さんが被災して大変な時に、
 こんな家庭内のつまらない揉め事を相談する、
 私はわがままでしょうか?」(DV被害者)
 
「そこでしか生きていけないときに、
 誰にそれを語れというのですか?」(性暴力被害者)


東日本大震災
「災害・復興時における女性と子どもへの暴力」に関する調査報告書 に出てくる、
いたいたしい言葉です。

災害・復興時、多数の人が極限的かつ長期的なストレスにさらされ、
社会的インフラも整わないなかで、平常時であってもおこりえた、
DVや性暴力などの被害者が救済されにくくなるだけでなく、
災害による被害の増加リスクもあることが指摘されています。

たとえば、上記調査報告書には、さまざまな胸の痛む被害経験が述べられています。

避難先で物資を融通する権力のある男性に性行為を強要されても、
「いやなら、ここにいられなくなる」と言われ応じざるをえなかったうえ、
「騒いで殺されても海に流され津波のせいにされる」といった恐怖から、
「その後に誰にも言えなかった」という話。


物資を融通してもらうなら、性的に搾取をされても仕方がないと思われるためか、
他の女性から性的被害を「あたりまえだ」と言われた話。


加害男性側も辛い立場にあるためか、
男性が女性の毛布に入り込んでいても、
周囲が「若いから仕方がない」と見て見ぬふりをしてしまった話。


支援女性が、被災者から被害を受けても、ボランティアリーダーから、
「支援者ボランティアが被災者をしかり指導するとは、もってのほか」と
暴力を容認されてしまったという話。



何れも、加害者も被害者もギリギリの、平常心を維持し難い状態下での
出来事だったのかもしれません。


けれども、だからといって、
女性に対して、DVや性暴力を加えてよいわけではありません。


平常時であれ、災害・復興時であれ、女性に対する暴力は許されません。

それは個人の人権や尊厳を損なうものです。

たとえば、レイプは「魂の殺人」と言われるほどに、
被害者の人生を、一生にわたって左右するほどに、深く深く損ないうるものです。
 

また、多数の人が「レイプ」と言われて想像するような性暴力等に限らず、
何かを融通すること(物資の融通等に限らず、施設内で目立たず、いじめられず、
平穏すごせることも含む)と引きかえに、
暗に明に性的関係を求めることもまた、ひとつの性暴力です。
一見、女性がそれに同意をしているように見えたとしても、
極限状況下でのその取引は性的搾取に他なりません。


今、被災地では、たくさんの人達が、助けあい、手を取り合って、
被災地で懸命に日々をすごしています。
全国の皆さんからの温かく感動的な支援がたくさん届けられています。

そうしたなかで、どうか、DVや性暴力といった被害が発生しませんようにと、
切実に願っています。

それでも、不幸にして被害にあってしまったという方は、どうか、
「わがままかもしれない」、「仕方がないのかもしれない」などと躊躇をせず、
声をあげてください。泣き寝入りする必要はありません。


もしかしたら、混乱時した状況のなかで、
最初の相談先で適切な対応を受けられないこともあるかもしれません。

それでも、たくさんの人達が、
災害・復興時のDV・性暴力といった被害が生まれないことと、
不幸にして被害にあってしまった方が適切な相談・支援先にアクセスができて、
支援をしたいと思っていることを知って、ぜひ誰かにつながっていってください。

そして、ともに歩みながら被害を回復し、災害に加えて、さらに傷ついてしまった
あなたが、それでも、しっかりと、あなたらしい人生を取り戻していくことを、
心から願っています。

なお、こうした話をすると、
被災者・支援者等を侮辱しているのか、信頼していないのかといった
ヒステリックな意見も出されがちです。

実際、上記調査報告にも、報告者らが、
阪神淡路大震災時の経験をふりかえって、
「神戸・沖縄 女たちの思いをつないで~私たちは性暴力を許さない!」
という集会を開いたところ、
一部マスコミなどから、
「被災地で性暴力はなかった。証拠がない、全て捏造である」といったバッシングを受け、
「性暴力を許さない、と声をあげたことだけで、なぜこれほどにバッシングされるのか」と
深く傷ついた、という話がでてきます。


平常時でさえ、DV・性暴力といった気持ちの落ち込むような話に、
共感し、あるいは過去を思い出し、苦手とされる方もいらっしゃいますから、
災害・復興時にこのような文章を書くことそのものが、
DV・性暴力とは縁遠いと自認していらっしゃる多数の人達のお気持ちも含め、
傷つけ、ご不快な思いをさせるのではないかと、逡巡をしました。


けれども、平常時のDV・性暴力の発生状況からみて、
非常時にだけそれらが発生していないと考えることは不自然です。
加えて、災害復興時にこれらのリスク増加は、既に国際的な知見になりつつあります。


そうした事実を前提に、社会全体で、復興支援時においても、
災害対策(避難所運営なども含む)の様々な場面で女性を適切に参画できるようにし、
女性の目をいきとどかせると共に男女格差をなくしていく努力が、
やはり必要なのだろうと思います。


ですから、多数の人達に、考えたくないことではあるけれども、
災害・復興時にも、DV・性暴力の問題が存在し、
そのリスクは平常時よりも増加するリスクがあるという指摘を知っていただき、
女性達がそのような被害にあわないよう、互いに声をかけ、目配りをし、
そうした被害が発生しないようにお力をお貸し頂きたいと思い、
あえてこの文章を掲載することにしました。


また、もしそういう被害を耳にしたときに、
災害・復興時だから仕方がない、加害者だって大変なんだといって見過ごさず、
被害を被害として受け止めて、被害者に寄り添おうと思ってくださいますと、
本当にありがたいです。


最後に、不幸にして被害にあわれた方が1人でもいらっしゃるならば、
その方に、たとえ大変な非常時であったとしても、
あなたは被害について語る権利があるし、
医療的・精神的ケアはもちろんのこと、
行政支援や法律的支援など、必要な支援を受けるべきであるし、
それは決してわがままなことではなく、あたりまえのことです、
ということが伝わればと願っています。


あらためて、こうした文章で、ご不快な思いをされた方がいらっしゃいましたら、
深くお詫び申し上げます。


(弁護士・郷田真樹)
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ゾンタクラブの集まりに参加させていただきました(夫婦別姓) [夫婦別姓]

 選択的夫婦別姓制度について、北九州ゾンタクラブの皆様と、27日(日)の午後に、北九州市立男女共同参画センター・ムーブでお話をさせていただきました。

 ゾンタクラブの皆様は、3月8日の国際女性デーにあわせて、この時期に、ローズデーとしての集まりを持っていらっしゃるそうです(素晴らしい!)。

 学生さんから会の中心メンバーの方達まで、たくさんの皆様に熱心に議論をいただき、別姓の是非・自分がそれを望むかどうかにかかわりなく、別姓制度を切望する人に、それをあえて法が一律全面禁止にまでする必要があるのか?という観点から考えていただくことができて、とても嬉しい集まりでした。

 裁判も立法も政治も、社会の声をうけて変わります。

 社会のなかで、たくさんのみなさんが、別姓を希望する人に禁止までしなくていいんじゃないか?と思い、表現し続けていくことが大切だと、あらためて思いました。
 お集まりいただいた皆様、ありがとうございました。

*ゾンタクラブ
 奉仕と支援を通して全世界の女性の地位向上のために活動する世界的な社会奉仕団体

                                      (郷田真樹)
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平和のための絵本読み聞かせ会 [福岡女性九条の会]

福岡女性九条の会は、3月20日(日)天神中央公園にて「平和のための絵本読み聞かせ」会を開きました。
前日まで雨が降っていましたが、当日は爽やかな青空が広がりました。

定番の名作絵本(ぐりとぐら、スーホの白い馬など)から入り、
・「へいわってどんなこと」(浜田桂子、童心社)
・「タケノコごはん」(大島渚・文、伊藤秀男・絵)
・「新・戦争のつくりかた」(りぼんぷろじぇくと・著 井上ヤスミチ・絵)
・「わたしの『やめて』(自由と平和のための京大有志の会・著、 塚本やすし・絵)
など、数冊を読みました。

読み聞かせ中の絵本の世界にどっぷり浸る子、他の絵本を触ったりめくったりする子、遊びながら時々絵本を見にくる子。
ヨチヨチ歩きの小さなお子さんから小学校高学年のお子さんまで、それぞれが自由にリラックスして思い思いの時間を過ごしているようで微笑ましかったです。
また、途中で足を止めて声をかけてくださった方や、参加してくださった親子が何組かおられました。

次回は、4月23日(土)1時30分より、天神中央公園にて行います(雨天中止)。
みなさま、お気軽にどうぞお立ち寄りくださいませ♫

柏熊志薫


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今年の抱負 [日常]

2016年度、福岡県弁護士会の会長になることが決まった。
 小さい頃、4人兄妹の末っ子で、親のみならず、近所の人からもかわいがられて、幸せだった(のだろう)。よく覚えていないが、写真や親の話からすると、そうだったのだろうと思う。
 10代、容姿に劣等感を持ち、生意気と言われるのが辛かった。主観的には、ひたすら首を下げて生きていたが、人からみれば、やはり自己主張の強い少女だったらしい。同窓会では、そんなエピソードを語られる。でも辛かった。
 20代、家を出て世界を広げ、目立たない存在を目指すことを放棄して自然体を志し、結婚、出産、弁護士登録と目覚ましく過ぎていった。
 30代、子育てと仕事でてんてこ舞い。楽しくもあったが、毎日が精いっぱいで自分を顧みる余裕もなかった。
 40代、母と同居して、仕事に打ち込んだ。今のキャリアはこの時があったから。その分、下の子ども達には気が回らなかったかもしれない。
 50代、相変わらず仕事をしている間に子どもたちが家を出て、一人になった母が衰えてしまった。一人の夕飯も多かっただろう。ごめんね。最期は親孝行させてもらって、見送った。
 そして、60代。昨日と何が変わった訳でもない。この年なりの、仕事や子育てが続いている。子育てではなく、大人として向き合えるかが問われている気がするが。
 そして、そして・・・
 今年はもう一度精一杯仕事をしてみようと思う。
 会長に立候補するのは勇気がいった。シェリル・サンドバーグ氏(ファイスブックCOO)が言うように「大きな会議で男性は真ん中に座る。女性は役員でも端や後ろに座る傾向がある」という私の中の刷り込みを超える必要があった。立候補は私にとって第1歩であり、後退しない決意表明でもある。

戦争法は許せない!
正義と人権を守るこの仕事に誇りを持って続けていける道を広げたい!
後に続く女性弁護士たちの将来像に一つの道を残したい!

相談し易く頼りがいのある弁護士・弁護士会であるように!

原田直子
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子ども達に安全・安心を届けるために(前編)

田嶌誠一教授の最終講義から学んだこと

2月13日、九州大学箱崎キャンパスにて田嶌誠一教授の最終講義を受けてきました。
田嶌教授は、臨床心理の分野においては「壷イメージ法」という療法を考案された方としてご高名ですが、一介の弁護士がなぜ教授の最終講義を受けたかというと・・・。
児童の社会的養護の課題、特に児童養護施設内で起きる暴力の問題に対して、教授が考案した「安全委員会方式」が導入されたという事案に行き当たったことがきっかけでした。

(以下、講義内容を要約。文責は柏熊。)

人の内面にアプローチする臨床心理の専門家が、どうして施設内の暴力問題に取り組むことになったのか。
教授は、外来で相談に来られる人たちはまだラッキーだ、本当に困っている人は孤立していて相談すら出来ない、そうした人たちにアプローチしていくには人の内面を探求するだけでは限界があるとしてネットワークを活用し、孤立している人達の居場所を作るべく精力的に実践していきます。
スクールカウンセラーとしてはいわゆる“困難校”で実践を積み、不登校児童に対して積極的に家庭訪問したといいます。「行ってもいい?」と聞くのではなく(そう聞いたら「いやだ」と言われるに決まっているから)、「行くからね。」と連絡を入れて家庭訪問を繰り返す。最初は会ってくれなかった子も何度も来るおじさんのことを無視することができなくなり、ようやく部屋のドアが開かれたとのこと。

そうした実践の中で、教授はさらに、ある子ども達には切実なニーズがあることに気付きます。
それは児童養護施設にいる子ども達です。

児童養護施設内における暴力の問題は古くからあったものの、職員から児童への暴力だけではなく、真実は、児童から職員への暴力や児童間の暴力も多いという実態を目の当たりにします。教授は、この施設内暴力の問題が、どの都道府県の施設にも起こっていることで(もちろん暴力のない優良な施設もありますが)地域の実情に関係なく、当該施設内のみでは対処できない構造上の背景がある、ということに着目しました。
人間の発達過程には5段階の欲求があると言われており(マズローという学者が提唱)、生理的欲求(食欲や睡眠、排泄)、次に安全欲求(安全なところで安心して過ごしたい)、その次に愛着欲求(甘えたい、愛されたい)、その次に承認欲求(人や社会から認められたい)、最後に自己実現欲求(自分が選んで進む道の中で自分の価値を高めていきたい)というステップを順に進んでいくが、暴力にさらされている施設内の子ども達は第二段階の安全欲求のところで助けを求めている、暴力行為の当事者(加害児も被害児)に入所前の虐待が原因で愛着障害があるとかないとか、そういうことが問題なのではないということ、その前段階の安全欲求の部分を満たさないことには、子ども達の成長のサポートができないということでした。

教授は暴力が発生する構造上の問題として、児童養護施設に入所している子ども達は、自分の意思にかかわらず所属しており出入りの自由度が極めて限られている、いわば「ここにいることが不本意である」人間の集団であり、また、自分の思いを伝える手段として言葉を使うことが苦手であるという特徴も加わって、何かあればすぐに手が出る、暴力が深刻化しやすい、ということを分析しました。(したがって、この所属における不本意性という側面から、児童養護施設だけではなく、学校の寮や軍隊、精神病院なども同様のことが当てはまると考えられるそうです)。
また、加害児はかつての被害児であり、暴力が連鎖しているという問題もありました。

施設の子ども達は、甘えたいとか、愛されたいとかそういうこと以前に、とにかく安全なところで安心して暮らしたい、という切実な願いを持っている。この切実な願いに応えるべく、教授は、この構造上の問題として起こりうる暴力問題に対して、組織を上げて取り組む必要がある、として「安全委員会方式」というものを考案しました。

新たな被害児を生み出さないようにするべく(それはひいては将来の加害児も生み出さないことにつながる)徹底した取組みを始めました。

ちょっと長くなったので、また時間のあるときに続きを書きます。

柏熊志薫
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面会交流をめぐる控訴審判決 [面会交流]

 平成27年1月21日、福岡高等裁判所において、面会交流について、父(長男を監護している)が、母(次男を監護している)及びその代理人弁護士に対して、月2回の面会交流をする調停合意をしたにもかかわらず、面会交流が実施できなくなっていることが不法行為にあたるとして、損害賠償を求めていた事件の控訴審判決があった。

 父からの500万円の損害賠償請求につき、一審・熊本地裁判決は、妻と弁護士の、連帯して金20万円の損害賠償義務を認定しており、議論を呼んだ。
 
 その後、妻は上記一審判決を不服として控訴をし、父も200万円の損害賠償を求める控訴をし、双方控訴の状態での控訴審審理が行われ、控訴審では、一審被告(妻ら)敗訴部分の取り消し、一審原告(夫)の請求・控訴の棄却という判断がなされた。
 
 訴訟の主な争点は、ひとえに個別事情による部分も多いため、詳細な記載は割愛しますが、この事件のうち、特に私が問題を感じたのは下記のような点である。

1 面会交流調停のあり方について

 本件事件では、父と長男は熊本県内に、母と次男は大分県内に居住していた。
 当事者夫婦が、それぞれの子をつれて別居に至ったあと、母は父に対して、離婚調停を提起している。
 その調停において、妻は弁護士をつけておらず、夫は最後の一時期に弁護士をつけたという事情がある。
 調停はごく短期間で終了し、離婚は成立せず、月2回の面会交流の実施だけが約束された。

 九州に詳しい方にはすぐご理解いただけると思うが、幼い子どもたちとその親にとって、月に2回(互いに行き来としてもそれぞれ月1回)、熊本・大分を行き来することは、実質的な九州横断にあたり、相当な身体的・時間的・経済的負担がある。特に、面会交流開始時は次男はまだ0歳で、母乳を飲んでいたという状況だった。

 このような状況で、家庭裁判所がかかわる調停で、当事者の居住地域や子どもの年齢といった事情がありながら、月2回という合意が漫然と受け入れられてよいものか、現実的な履行可能性や、仮に履行困難に陥った時の当事者間に生じるトラブルの見通しはどのように考えられていたのかといったことに、深く疑問を持たざるをえなかった。

 私自身は、この調停の段階には関係をしていないので、私の想起しえない何らかの事情があったのかもしれないとも思う。とはいえ、これまでの経験上、そのようなことまで想定した丁寧な調停がある一方で、聞き分けの良い方の当事者に無理を強いがちとなり、声の大きなものが勝つという流れになりかねない調停を見かけることもまた事実である。

 家庭裁判所では、特に弁護士がついていない調停においては、より丁寧な後見的役割が期待されるはずであり、そうでなければ調停制度、ひいては家庭裁判所そのものの役割が損なわれてしまうと思う。

 本件訴訟においては、既に成立した調停の有効性を争うことは行わなかったが、家庭裁判所も、当事者も、目の前にある争訟や協議を終わらせたい一心で、履行可能性に強い疑問があるような合意の成立には、より慎重になるべきであると思った。


2 履行勧告について

 家庭裁判所では、履行勧告という手続きがある。
 調停・審判などでの取り決め事項を守ってもらえない時に、家庭裁判所を通して、取り決めを守るように説得してもらう手続きである。

 履行勧告手続には強制力がないこと、勧告を求められるような事案は、その時点で既にそれなりにこじれていることが多いため、勧告だけで問題を解決できないことも多いことなどから、勧告をする裁判所側にも、それなりの苦労があることとは察せられる。

 しかし、そうかといって、たとえば本件のように、そもそも履行をしていくことに困難を抱える事案などでは、一方当事者が当初の取り決めを前提とした履行を求めても、他方当事者が履行できないということの繰り返しが容易に生じ得る。

 そのようなやりとりの中で履行勧告が複数回利用されるような場合には、勧告を求められた場合に、ただ当事者それぞれに、相手が何を行っているかを伝え続けたり、あるいは「履行してください」と言い続けるだけでよいのか、という点に疑問を持った。

 もちろん、履行勧告がそのような制度である以上、裁判所としてそれ以上どうしようもない、という考えもあるとは思う。けれども、履行勧告が複数回おこっているような特に高葛藤にあるような事案については、当事者の一方ないし双方のストレスないし不満はピークに近づいており、新たな争訟への発展も時間の問題であることを予測して、より丁寧な事情聞き取り・記録化・事後の状況確認などがなされてもよいのではないかとも思えた。

 そうでなければ本件のように、ただ、履行勧告をした、当事者がこれに応じられなかったという事実だけが残り、具体的な履行勧告の詳細については正確な再現ができなかったり、あるいは当事者は当時の事情・経過ぬきに、ただ、勧告に対応できなかったという事実のみを指摘される事態に至る可能性があり、事後の争訟の公正な解決にも資さないのではないかと思えた。


3 当事者双方の誠実協議義務について

 面会交流は(抽象的ないし具体的)権利か、という点については、諸々の議論があるが、少なくとも日本においては、親の権利というよりは、子の福祉を図るもの、あるいは子の監護に関する一形態として捉えられているものであることだけ記載し、詳細記載は控える。

 この点につき、本訴訟においては、一審判決・控訴審判決ともに、面会交流についての調停合意があることを前提に、面会交流の実施に関する当事者の関係性について、監護親・非監護親双方に誠実協議義務があると考えたうえで、「一方当事者が、正当な理由なくこの点(面会交流を実施するため具体的日時、場所、方法等の詳細な面会交流の条件の取り決め)に関する一切の協議を拒否した場合とか、相手方当事者が到底履行できないような条件を提示したり、協議の申し入れに対する回答を著しく遅滞するなど、社会通念に照らし実質的に協議を拒否したと評価される行為をした場合には」誠実協議義務に違反がある、という趣旨の判断がなされた。

 私自身、面会交流の意義や重要性を否定するつもりはなく、継続ないし再構築できる親子関係はそうすべきえあると考えているが、それにしても、昨今の、面会交流至上主義的な裁判所の流れには、強い違和感を持たざるをえない。実際、様々な視点から、その根拠が薄弱であること、高葛藤事案に対する配慮が不足していることなどから、諸々の異論が出されてきているところでもある。

 とはいえ、本件訴訟は、そのような議論とはまた次元を異にした、面会交流は、仮にそこに何らかの権利性を認められる段階に至っている事案であっても、事案の性質上、当事者双方の協力なくして成り立ち得ないものであるから、相手の履行義務を問うからには、自分も面会交流が円滑に実施できるよう誠実協議義務を果たしておく必要があるという、あたりまえのことが、あたりまえに認定された判決であり、そのことに意味があるものだと考える。

(郷田真樹)
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ジェンダーマリアージュ試写を見て(雑感) [LGBT]

2月20日頃から、中洲大洋で公開予定とされている映画、
「ジェンダーマリアージュ―
 〜全米を揺るがした同性婚裁判〜」の試写を見た。
(約1週間の公開らしいです、ぜひ見に行ってみてくださいね)

訴訟経過や結論はなるべく記載しないお約束として。
アメリカと日本の法の構造や司法手続きの違いに
ところどころ「?」と思いながらも、
最期までぐっと引き込まれた。

この布陣・技術・能力をもって、この経過と結論。
このヘイトスピーチ、バックラッシュ。

個々人が、人に何かを強制するでもなく、命ずるでもなく、
ただ自分のアイデンティティを求めるときに、
なぜここまで、他者がそれを妨害しようとするのか。
信念とか、宗教とか、価値観とか、良識(?)とか。
それは、個々人が大切に自分のものとしてもっておけばいいのではないか?
人に押し付ける必要があるのか?

先日の選択的夫婦別姓訴訟といい。
LGBTバッシングといい。
ヘイトスピーチといい。
他人の貧困や困窮を「自己責任」と切り捨てつつ、
こういうところでだけ他人の人生に介入してくるこの心性は何なのだろう?と
いつも疑問でならない。

けれども、それをはねつける、原告達と、
彼・彼女らと共に歩む支援者の、あふれる思いと力。

時々へこたれそうになるけれど、
こういう湧き上がる何かを見るときに、弁護士という仕事は素晴らしいと思う
(原告さん達がいちばん素晴らしいのは言わずもがなとして)。

こういう何かを作りだすために、映画には出てこない、
おそらく気が狂いそうなほどの膨大な、
作業と話し合いとトラブルと、様々なことを乗り越えてきたに違いなく、
その映画外の膨大な背景に対しても敬意を抱いた。

もちろん規模も内容も全く異なるけれど、
何年も前に、原告さんたちと寒い街頭を行進し、
霞が関で互いにマイクを持ち、笑って泣いて、
法案成立で飛び上がるように抱き合ったことが頭をよぎった。

でも・・景観のよいオフィスもケータリングはなかったな。
窓をあけると隣のビルの壁!の部屋に、
みんなで篭ってPCを打ち続け、
3日続けてCoCo壱だったこともあったな(^_^;)
(アメリカと日本の、人権問題をとりまく人たちの
 全体的な構造差として)。

何れにしても、あの時も。この映画も。
やっぱり、自分の、あるいは誰かの、
人の尊厳のために闘える人は素晴らしいと思う。

でも、ここまで闘わないと、あたりまえの人権が尊重されない
人間社会って、何なんだ?とも、いつも思う。

本当は日本ででも、たとえば今日からでも明日からでも、
普通に、それぞれの人が、自分が結婚したいと思う人と、
自然に結婚できてしかるべき、と、あらためて思う。

(郷田真樹)
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